細密な文様と小洒落た明朝体、染み込んだ年季が目を惹く『地球と月』。一見学術書には見えないこちらの本。

三軒茶屋にあるMOON FACTORY COFFEE で一目惚れし、ネットで探して購入しました。カバー付きで、全8巻ある圖説天文講座のうちの第3巻です。編者は天文学者の山本一清氏(1889~1959)、昭和15年、西暦にすると1940年に恒星社厚生閣から出版されました。戦前ですね。そしてこの頃はまだ月の裏側を観測する技術が無かったので、我々は永遠に月の裏側を見ることはできないと述べられており、足の裏がひっくり返ったようななんとも言えない気持ちになりました。京大の理学博士が知りえないことを、現代に生まれたというだけで無学の私が知っているという現実は、まるでタイムスリップ映画のようで非現実感が普段意識されないところをぞろりと撫でるのです。
旧字で書かれており、ありがたいことに本文は全ての漢字にルビがふってあるのでスラスラと読むことができます。タイトルや図の説明文にはルビがなく、「絕對」や「羅馬法王廳」など時折読めないので調べるのですが、それが「絶対」「ローマ法王庁」と普通なら当たり前に読むことができる語だった時には、「もう少し考えれば分かりそうなのになぜ分からなかった!」と思わず声に出して嘆いてしまいました。「ヹ」という文字も初見で、発音のニュアンスは分かるものの正解を見てみると「ve(ヴェ)」の翻字であることが分かりました。そんなヹリウスは今ではへベリウスとも表されるので、時代と語は移り変わる、つまり人の感性は移ろいでいくことが分かります。
ちなみに新字体と旧字体を相互変換してくれる便利なサイトを見つけました。

外来語の読みが今と異なっているのが分かるのも面白いです。ニュートンはニウトンだし(かわいい)、パリはパリーだし(パリー⁉︎)、グリニッチはグリニチ、クラカタウ火山はクラカトア火山。中でも衝撃を受けたのはこちら。

恐竜の名前が全然違うのです。サウルスではなくソウラスと読んでいます。幼少期の愛読書の一つが恐竜図鑑だった私ですが、第70図のタイラノソウラスに至っては15秒ほど考えてようやく〝ティラノサウルス〟だと気付きました。確かにネイティブな英語の発音(tirǽnəsɔ`ːrəs)を聞くとsaurusの部分はソウラスの方が近く感じますが、tyrannoの部分は発音記号を見てもタイラノとは読めないし、ネイティブな発音と遠いサウルスというローマ字読みが定着しているのも不思議なものです。
いったいいつどこから一般的な読みが変遷していったのか、興味が深まります。
Google先生に聞けば何でもすぐ分かるのが当たり前の感覚を身につけてしまった今、検索してもヒットしない、詳細までは出てこない、ほとんど情報がない単語にいくつも遭遇できた事にはむしろ喜びを感じるほどです。「ウラニウム時計」はそれらしきものが見つからないのでウラニウムで年代を測定することをそう呼んでいるのかなと考えたり、「リンネ山」などはすでに消失したようで古い文献に名前があるだけで英語で調べたらようやく情報が出てくるなど。
また、より正確な情報を得られるようになったためか、データの数値が違っていたりすることもありました。

写真映像技術が進歩したため、手描きの図や手書きの文字すら見ることが少なくなりました。理科の授業で観察する対象を点描でスケッチしたのが楽しかったことが思い出されます。デジタルに満ちた生活の中でこの本はとでも良い目の保養、脳の保養になります。
時折文字が刻印された跡があり、手でなぞるとその凹凸が分かるし目でもはっきり見える部分もあります。現代のプリントではない事なのでこれもまた柔らかくくすぐられるような刺激です。
ジャケ買いしてしばらくは時々パラパラとめくってうっとりしていただけでしたが、実際読んでみると知的好奇心も満たすことができ、ずっと手元に置いておきたい本のひとつとなりました。
ネットで探すと、ヴィンテージ本なのでいかにも古めかしい良い味を出しているものがいくつか見つかります。
奇跡的にAmazonにも売っていますが、こちらは装丁が少し違うバージョンのもののようです。