月には多くの呼び名があるとのこと
『地球と月』という本を読んでいて知りました。
知の及ばぬ世界がまだ広かった時代。人々の想像力は未知なるものに物語を与え、意味を与え、名を与え、いのちを与えた。科学が大いに発展する以前は、今より精神世界がもっと自由で豊かで、理に縛られず不正解はなかった。
例へば、月には桂を伐る壯子が居ると云ふ想像から、月のことを月人壯子、又はカツラヲトコ、ササラエヲトコなどと呼ぶ。 この外、我國ではツキヨミヲトコ、グワチリンなどの異名もある。支那に於ては、月に兎が居ると考へて、玉兎と呼び、或いはガマが居ると考へて玉蟾と呼んで居る。
山本一清(1940). 地球と月, 恒星社•厚生閣, 151p
カツラヲトコ(桂男)は中国での異称で、調べてみるとなかなか面白い月物語もありました。ササラエヲトコ(細愛男)は愛すべき若い男という意味で、万葉集の時代から見つけられる異称です。月を男性に見立てているのはなぜなのか、不思議に思います。ドイツ語でも月を示すMundには男性名詞が与えられています。一方フランス語では月を示すlunaは女性名詞です。同じ欧州でも異なっているのもまた不思議で、明瞭な理由は見つからないようです。
又羿と云ふ人の妻の嫦娥が西王母に請うて得た不死の薬を盗んで服用し、仙人となって月に走り月の精となつたと云ふ故事に基づき、嫦娥とも稱する。又月の光が冷たい感じを與へるため氷輪、或いは氷鏡とも呼ばれる。
山本一清(1940). 地球と月, 恒星社•厚生閣, 151p
せいぜい教科書で眺めることができる程度の呼び名しか知らなかった私にとって、物語を醸すこれらの異称はとても美しく心の耳に響いたのでした。
日本の旧暦では12の月について和風月名という異称もあり、農耕に寄り添った名付けが多くあります。こちらは音訓では読めないものもあり、その独特で個性のある響きは私が日本人であることを思い出させてくれるようです。特に語の響きでは皐月、漢字の雰囲気では葉月が好きです。
名前から情景が浮かぶ、その名の誕生を感じることができるのは心地が良いものです。
さて、もしの話です。
月のことなど知らない真っさらな私が、その夜空にぽかりとある“それ”を初めて目に宿した時
私は何を感じ、何を想い、どんな物語を創るのだろうか?
これはバウムテストの如く、私が私を知る新たな機会になりそうです。